〜八高音楽部・復活期〜

連載第1回・復活へのプロローグ


 平成8年、後に八高音楽部第51期生となる、小野塚・西川らが八鹿高校に入学。二人は同じ八鹿中学校出身である。中学三年、突如?合唱に目覚め、よく放課後に音楽室で歌う程度の友人であった。


 八高入学後、部活紹介の場には音楽部のかげも形もなかった。しかし、二人には大して入りたい部もなかった。


『合唱部作れへん?』


一体誰が言い出したのか、今となっては定かではないが、小野塚か西川のどちらかだと思う。とりあえず八高の音楽の先生に聞きに行った。


『合唱部ってないんですか?』

「あるのはあるけど、3年生が3人だけで活動はしていない。」


よく話を聞くと、その3人も歌が好きなメンバーが集まっただけで、他の部を掛け持ちし、そちらが主な活動の場だという。実際、八高音楽部は消滅寸前だったのである。その3人の先輩方がかろうじて音楽部の形を残していてくれたのだ。
 私達は話を続けた。


『あの、合唱部に入りたいんですけど。』


 今思えば、その時から彼(音楽担当教師)はあまり好意的ではなかった気がする。その時、人数を集めろと言われたのか、単に自分たちの仲間を増やそうとしたのか、またもや記憶がはっきりしないが、とりあえず、同じ八鹿中出身でまだ部活を決めていない子を中心に声をかけた。10人集まった。

とにかく最初は、高校という新しい環境の中、自分たちで何かを始めるという行為に酔っていたのかもしれない。とりあえず私達は復活の第一歩を踏み出した。やはり音楽担当の先生は、あまり乗り気ではなかった。


 そこで登場するのが吉田(Jr.)氏である。彼は私達の母校、八鹿中学校の音楽担当教師である。

 人数も集め、部の形は整った。かといって、顧問の先生も協力的とは言えず、何をしていいかわからない。全員合唱のド素人である。


『そうだ、吉田先生に相談しに行けへん?』


八鹿中学校を訪れた。


『先生、私達高校で合唱をやりたいんですけど、先生も協力的でなくて何をしていいかわからないんです。』

「・・・・・・・・・。あのな、ほんまに合唱やる気ある?
 実は、
知り合いの八高の合唱部のOBの人 《現顧問の西谷先生のことである》
 頼まれとったんや。合唱部を復活させる為に中学校で頑張って欲しいって。」



 何だか思いがけない展開になった。私達はただ歌がうたいたいという軽い気持ちで部をつくったのだ。

 その時以降、以前の音楽部のすごさをだんだん知るようになる。全盛期の部員は60人.
県でも有数の合唱部。・・・・・・・・・それを、本気で復活させる???



 最初は戸惑った。しかし、西谷先生をはじめ、多くの八高音楽部関係者の熱い思いを知り、私達の目標(合い言葉)が決定していった。


『八高音楽部を復活させよう!!!』


連載第2回に続く。

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