〜八高音楽部・復活期〜

連載第4回・天国と地獄


3年間で多くの人に出逢った。
その人たちから多くのことを学び、やる気と勇気を頂いた。
私達があんなにも頑張れたのは、そんな一つ一つの出逢いのおかげ。


第三回でも書いたように、音楽部は学校の中で完全に孤立していた。
けれど生徒の中には理解と共感を示してくれる者がいた。
知るひとぞ知る同じ51期の
A氏Nさん。共に伴奏者の助っ人である。
彼らの本業は吹奏楽やバドミントン。しかし只でさえ人数の少ない私達にとって伴奏者として
一人でも抜ければ大きな痛手。彼らには掛け持ちにも関わらず、頼りっぱなしで
迷惑も沢山かけました。・・・・・・・改めてありがとう!

そして
Y先生一家
特に
Jr.先生(ネット上ですのであしからず)は、今の音楽部の生みの親であり、育ての親といっても
過言ではありません。私や西川は、彼の言葉に"復活"を決意し、挫折しそうになっては
彼の元を訪れ、励まされてやる気を充電していました。御多忙な毎日の中時間をさいて、
時には中学校で、時にはビバホールでと指導もして下さいました。そしてJr.先生を軸に音楽の輪が
広がっていったのです。
先生はご自宅で私達のことを話されたようで、当時豊高音楽部の顧問であったお父様=
Y先生を通じ
豊高との交流も始まりました。先生は合唱曲のテープを貸して下さったり、豊高の練習を
見学させて下さったりして、私達は合唱について多くのことを学びました。
又お母様であるK子先生にも支えられました。同じく音楽の先生をなされていた
K子先生
Jr.先生に預けていた部誌(当時毎日付けていた日誌)を読まれ、あなた達の復活にかける意気込みに
ふかく感動したと、休日に場所を借りて指導して下さったり、初舞台の時には私達一人一人に
赤いミニバラを下さったり・・・。初めてのコンクールの時に頂いた手紙も、一生忘れられない
思い出です。
技術的な面はもちろん、何より歌うことへの情熱・心を教えて頂いたように思います。
そしてそして、現Jr.先生の奥様=
h先生(当時は花の独身♪)にも。今でもコンクール等で
伴奏を担当してくださっていますが、h先生も復活当初から私達を見守って下さったお一人です。
初めての合わせの練習で、赤ペン片手に必死にメモを取られながら、注意事項に耳を傾ける
その姿勢に、改めて音楽の厳しさを教えられました。
そして、コンクールで一緒に流して下さった涙・・・・・・・一生忘れません。
このようにY一家には本当にお世話になりました。ありがとうございました!!!


Jr.先生を通じて現顧問のN先生や、合唱団セィティブの方にも出逢う事が出来ました。
OBとして見学に来てくださり、温かくも厳しい意見をぶつけ、私達を更に
成長させようとして下さいました。先輩がたの時代の話も聞くことが出来、
復活への決意を新たにしました。

ありがとうございました。


他にも本当に多くの方々にお世話になりました。
Jr.先生を通じて、現豊高合唱部顧問の
U先生にも指導を受けました。
部員10人中唯一の関中出身の生徒を通じて、関中の音楽教師であったM先生にも
指導や指揮をして頂きました。
土日の音楽室の利用を禁止されて以来、私達は自己負担で場所を借りて練習していました。
その現状を知った
ビバホールのスタッフの方のご好意により、
無料で施設を使わせて頂いたことも忘れられません。
そして何より、無茶をしつづける私達を理解し、励ましてくれた
家族にも感謝しています。

この間、現役部員に『先輩方はどうやって自分達で部活をされてたんですか?』と聞かれました。
お答えしましょう。私達はこんなにも多くの人に支えられて部活をしていたのです。
時にはプレッシャーに感じることもありましたが、出逢った人々に教えられたこと、
気持ちに答えることを目標に毎日練習をしていました。


H8.6.25の日誌より
「花を支える枝・枝を支える幹・幹を支える根 根はみえねえんだなあ━相田みつを」
私らは八高音楽部の"花"になることはできないけど、"根"になることは出来る。
頑張ることは苦しいこと、でも復活を信じて頑張ろう!


今、改めて、音楽部復活に携わって下さったすべての方にお礼申し上げます。
ほんとうに、本当にありがとうございました!


連載第5回に続く。

Back Next

Back
animato
Back
八高話
Back
目次