〜八高音楽部・復活期 〜 |
連載第5回・復活への第一歩・初舞台"八高祭" |
兵庫県合唱祭は出場締め切りに間に合わず、夏のコンクールは出場断念。 そんな私達の初舞台は、なんと八高祭だったのです。しかも混声合唱までしてしまいました! (そういえば、現役部員にはこの舞台を録音したMD渡したよね?) けれど、初舞台を踏んだ部員は9名。 ただ歌いたくて集まった者と、復活への厳しい道を選んだ者--------------様々な葛藤。 しかし、その溝はどうしても埋められず、音楽部を去るものもいたのです。 さて、事の始まりは1996年5月30日。 掛け持ちをしながらも"音楽部"の名を残していて下さった三年生の先輩が音楽室を訪れ、 「もしかしたら三年生最後だから、学校祭の時に一緒に歌わしてもらうかもしれん」。 と言われたのです。当時の先輩は三年生ばかり、男子4名。 先輩と一緒に、しかも混声合唱が出来る!?・・・話は着々と進み、曲目は混声が 『聞こえる』『大地讃頌』『モーニング』、女声合唱は『矢車草』『時無草』の計5曲! 混声の伴奏には、"八高賛歌"の作詞をされた先輩が、女声の伴奏には51期助っ人Nさん。 さらに混声合唱には51期助っ人A氏も加わる事が決定。 目標が出来、夏休みは八高祭ただそれだけに向かって練習しました。
そう思ってはいたが、当時の私にはそれさえプレッシャーに感じていた。 《私達を認めてもらえる歌をうたわなければ》 焦ってばかりの一ヶ月、結局満足のいく仕上がりにはなりませんでした。 けれど行き着いた先は・・・・・・・・・ 「歌う」ということは表現であり、相手の心を動かすこと。 だからひっこんどったらあかん、前に出さないと・・・ 自分の気持ち、自分の声を前に出そう、自分に自信を持って! 自分達の為に、音楽部を復活させる為に、そして先輩の為に・・・・・・・ 技術ばかり追い求めていた。 いくらやっても上達しない自分、自信を失い、みんな小さくなっていた。 今の私達に必要なのは、音楽が好きだという気持ち。 技術はなくても、人の心に届く歌をうたおう!・・・それしかないと思った。 いよいよ八高祭当日。 今でもはっきり覚えています。 当時は全校生徒の前でのステージでした。 あの町民会館のステージが、とてつもなく大きく広く見えて、 私達は余計に小さく感じられました。 舞台袖で、9人全員で手をつなぎ輪になって、少しでも不安をなくそうと、 強くお互いの手を握り締めて、復活の第一歩=ステージへと向かったのです。 |
連載第6回に続く。 |
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