〜八高音楽部・復活期〜

連載第8回・〜見えない約束〜

 
約束することは誰でも出来るさ。
だけど守ることは生きるより難しい。

 1997年、暑い熱い夏の始まり。

 1・2年生の不協和音は消えぬまま、コンクール5位入賞を目指して猛練習の日々。
 小野塚は鬼部長になっていた。もう1年生にどう思われてもかまやしない。
 音楽室の壁一面に全員の名前を書いたでっかい
出席表を貼り、誰がいて誰が居ないのか
 一目でわかるようにした。連絡のない欠席者には直接自宅に電話をかけた。
 また、八高で二泊三日の
強化合宿も行った。初日はなんと朝9時から午後10時までの練習。
 (今から考えても恐ろしい日程)少しでも不協和音を取り除こうと、
 夜の校舎で肝試しを企画してみたりもしたが、結果はイマイチ。
 でも、この3日間でコンクールの基盤が作られたと思う。いろんな意味で。


 なぜそこまで必死になるのか。
 私たちにとって最初で最後のコンクールということもあっただろう。
 「復活」と軽々しく口にしたことにも少し後悔していた。
 何をもって"復活させた"っていえるのか。
 しかし"復活させようとした"では終わりたくなかった。
 これがエゴだったのだろうか?
 もう既に多くの人を復活の輪に巻き込んでしまっていることにようやく気づいた夏。
 出逢った一人一人の方と交わした
見えない約束を果たそうと、必死だったのだ。


 コンクールが近づくにつれ、益々部内のピリピリムードは増していった。
 時がたってから、52期生(当時の1年生)と話す機会があった。
 『あの頃は、意地だけで部活を続けていた』と、そう話してくれた。
 本当によく辞めずについて来てくれたと思う。
 今でも西川と時々話をする。もっとやり方があったのにって。
 でも、慣れが甘えになってしまう気がして、空回りしていた17才の夏だった。

    おまえさんな いまいったい 何が 一番欲しい
      あれもこれもじゃだめだよ
      命がけで欲しいものを ただ一つに的をしぼって言ってみな
                                (当時の日誌より)



 コンクール3日前。

 合唱団セイティブ・豊高・八高の三団体によるジョイントコンサートが開かれた。
 コンクール直前での練習はきつかったが、得るもの多い演奏会だった。
 聴きに来て下さった方の変わらぬ笑顔に、忘れかけていた大事な気持ちを思い出せた。
 そして、目標にしていた豊高の歌声に、自分達が近付いたっていう実感がもてた。
 "5位入賞も夢じゃないかも・・・"
 この夏、本当に成長したんだと、一気に自信がついた。

 1997.8.27――――兵コン当日。

 緊張した。ものすごく。ピリピリムードも最高潮に達していた。
 でも。この夏の想いを全て舞台に置いてくるつもりで歌った。

兵庫県合唱コンクール 高等学校の部 A編成
県立八鹿高等学校  
  銀賞


 "銀"。金でも銅でもない、それが私達に与えられた色。
 みんな、泣いた。大泣きだった。
 でもそれは、悔し涙。
 この夏、部活だけに専念した。17才の夏の思い出は、音楽室の風景だけ。
 頑張った。上手くなった。自信があった。
 当日、会場で他校の演奏を聞いても、『金賞をとれる!』確かにそう思った。
 しかし、"銀"。
 八高が兵コンに出場したのは、何年かぶり。そのブランクのせいか?
 25人の心が一つじゃなかったせいなのか?
 (結局最後まで、1・二年の溝は埋まらなかった。これが今でも心の底に引っか
 かっている。みんなから、無理やり高校生の一夏の時間を奪った形になったこと。)
 打ちひしがれて、呆然としていた私達に
 『あなたたちは金賞以上よ!』と、一緒に泣いてくださったH先生。
 Y先生の奥様からもお手紙を頂きました。
 『たとえ入賞しなくても、自分達の精一杯をだせればそれでいい。』
 結局、救われたのはプレッシャーに感じていた方々の温かい言葉。
 流した涙と共に、悔しさの"銀"が、誇りの"銀"へ、変わった気がした。


 今振り返ってみれば、合唱を始めて僅か一年半の私達が銀賞を取った、
 それだけで十分すごいことだと思う。
 あんなに一つのことに熱中することは、後にも先にもないだろう。
 一生に一度の熱い熱い夏だった。


 そして時は流れ、2001年。

 時は同じく8月27日。同じ場所で、同じ伴奏のH先生で、
 あなた達は金賞をとってくれた。
 ありがとう。


連載第9回に続く。

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